大山藍子(千代田化工建設勤務|6期生)

恵まれた環境への気づきから、社会基盤をつくる仕事に

取材・文/中城邦子 写真/林 直幸

プロフィール

2004年慶應義塾大学理工学部卒業
2004年千代田化工建設入社 以降、タイ、中国への赴任、カタール、オーストラリアのプロジェクトなどを担当
2014年リードエンジニアとして部下を持ち専門分野を担当
2018年持病による休職中に夫とボードゲームを製作・リリース
2020年復職し概算見積り業務を担当。

多国籍のメンバーと海外でプラントをつくる

プラントとはどんなものかご存知ですか?タワーと配管がつながったり、大きなタンクがあったり、複数の機械や設備が集まって生産機能を果たしている大規模な施設のことです。

私が働いているのは、そのプラントの事業計画から設計、建設や試運転、稼働後のメンテナンスや設備の改造・拡張まで行うプラント・エンジニアリング会社です。現在は、プラントがどのくらいの規模のプロジェクトになるのか、初期検討段階に必要な費用の概算をする仕事をしています。

入社後に最初に配属されたのは制御システム部で、人体で言えば脳と神経に相当する運転制御システムの設計を担当しました。プラントは高機能な設備が複雑につながっているため、温度、圧力、流量などを精密にコントロールする必要があります。そうした調整やセンサーなどの設計をし、必要な機材を調達して現場での施工管理や試運転までを担当しますので、プラントの操業に向けてタイや中国への赴任も経験しました。

特に印象深かったのは、シンガポールでの3カ月にわたるシステムテストです。国籍もバラバラな12人からなる多国籍チームで、数学的にシミュレーョンされたプラントをパソコン上で2ヶ月かけて立ち上げながら、でてきた不具合について一つひとつ問題を解決していきました。客先、メーカー、自社の運転員、技術者、設計担当者、マネージャーなど様々な組織の様々な立場の人が参加していました。決められたスケジュールまでに納品するため、それぞれの経験、知識をフル活用して喧々諤々と議論を重ねながら、立場を超えて一つのチームとしプロジェクトを完遂したのは、タフでとても楽しい経験でした。
幅広い国籍の人たちと仕事ができるということのみならず、幅広い分野の技術者と一緒に仕事ができるのもこの仕事の醍醐味です。複雑で巨大で危険物を取り扱う設備を安全に動かすため、化学、機械、土木、建設、電気、制御、安全など様々な分野の技術者がそれぞれの経験、知識、知恵を出し合って関わり合いながら一つのものを作り上げていく。その工程は圧巻で、みんなで集まって何が最善かを話し合うのは今でもワクワクします。

自分にできる分野で社会に貢献したい

プラント・エンジニアリングの会社に就職したのは、一つには人工的に作られた大きいものがもともと好きだったことが理由です。LNGを運ぶタンカーや、湾岸線に建ち並ぶプラントなどは、今でもずっと見ていられるくらい好きです。

もう一つは、学生時代から途上国支援に関心があり、人が生きる上で欠かせない領域で働きたいと考えていたからです。その意味では、カタールに世界最大規模の天然ガス液化装置の建設や、医薬品やプラスチックの原料につながる石油化学系のプラント建設などを行う会社で、社会を支える仕事に関われているのかなと思います。

開発途上国の支援に関心を寄せたきっかけは、高校2年生のある晴れた日の昼下がり。家でぼんやりと過ごしていて、突然、私は幸せだなと思ったのです。自分が何かしたわけではないのに恵まれてきたことに対して、どこかに還元したいという思いが生まれました。具体的に行動を始めたのは大学に入ってからです。地雷除去を行うNPOでのボランティア活動やインカレサークルでの勉強会への参加、カンボジアへのスタディツアーで現地のNPO訪問やごみ山の視察なども行いました。

就職活動を前に、自分にできることは何かを考えました。スタディツアーで現地の人と実際に会って、自分の持っていた「助けてあげたい」という気持ちが非常におこがましいものだったと感じました。見下しているつもりはありませんでしたが、相手が「可哀想な人たち」で、自分が何かをしてあげる立場の人間だと思っていたところに頭をガツンとやられた気持ちでした。なぜなら、現地の人たちは当然ながら対等な人間であって、私にはまだ何をしてあげられるほどの技術も、知識も、何もないと気づいたからです。自分が関わるとしたら「何かをしてあげる」より「一緒に何かをする」方がいい。だから仕事として関わりつつ、自分が「何かをできる人間」になりたいと思った次第です。
改めて振り返ってみると、SFC中高では本人が面白がっていることを先生も周囲も認めてくれる環境がありましたから、自分のそうした思いに対して素直に行動できたのかもしれません。

背骨になった稲田部長の言葉

今も私の行動指針の一つとなっているのが、SFC中学に入学した時の稲田先生(部長)のスピーチです。「この学校では先輩だからといって無条件に敬う必要はありません。先に生まれたから偉いのではなく、先に生まれて経験を積み敬われるような行動をしているから敬われるのです」という内容でした。そして、新入生は先輩が尊敬にたる人物なのかちゃんと見ていると。非常に印象的でしたし、会社選びのときも、社会人になってさまざまな国や言語の人とチームで働くときも、私自身が部下を持つようになってからも、人との関係性を築く際の基盤になっています。

SFC中高に校則はなく、それに代わるものとして公序良俗に反しないかを自分で判断し責任を持って行動することが求められます。授業もユニークで、ある歴史の先生はテスト期間前になると「ベン・ハー」などの映画を流してくださったことを覚えています。みんな自習したいけれど面白いから自習できないんです。今、自分の子どもが中学生で歴史の勉強をしていると、私も「ローマ帝国ってこんなだよ」と言ってあの映画を見せてあげたくなる。先生のお気持ちが分かりました。また、国語のある先生は泉鏡花ゆかりの地を訪れる前に鏡花の作品を映像化してみようという課題を出されたり、倫理の授業では池のほとりで青空教室が開かれたりしたこともあり、いろんな能力と感覚を使って学んでいたなと思います。

「人と違う」は誉め言葉だという共通認識があるくらい、一般的な枠にとらわれない自由さがありました。長編小説を書いて見せてくれる子もいましたし、私も詩を何百枚と書いて友人に感想を聞いたりしていました。

楽しむ者にしかず

部活動は中学・高校と女子サッカー部です。高校1年までは室内楽部も兼部していました。高1からは背が低いながらゴールキーパーとなり、突き指や打撲、擦過傷と戦いながらもどんどんのめり込んでいきました。大学4年間と社会人になってからも数年間はクラブチームで活動していたくらい楽しかったです。

今の私を形作っている原点の一つが、大学のサッカーチームに来てくれたコーチの教えです。ブラジルで修行経験のある方で、とにかく楽しんでやることを教えてくださったのです。私はどちらかというと根が真面目、とにかく最後まで頑張ってやることが第一というタイプだったのですが、このコーチに習ってから「頑張る」と「楽しむ」は両立していいと思えるようになりました。対戦チームを見ていてもニコニコしながら楽しんで全力を出すことが一番強いとわかったのです。

SFCにはさまざまなことに秀でている人、好きなことを夢中でやっている人がたくさんいましたが、やはり好きなものに向かって楽しんでいる人は輝いていると感じます。ですから家でも仕事でも、かかわる人たちみんなが楽しいと感じられたらと願っています。私は第二子出産後、持病が悪化して2年間休職していた時期があります。その間も、子どもの片づけを遊びにしたり、足し算の反復練習を楽しむためのゲームを作ったりしました。

私自身、その時々を楽しんで進むことを大事にしたいと思っています。

在校生へのメッセージ
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業生に向けて、「未来を見据えて点と点を繋ぐことはできないが、振り返ってみて初めて点と点が繋がっていたことがわかる」といった趣旨のスピーチをしています。聞いたときに本当にそうだなと感じました。休職中は社会から切り離されているようで焦る気持ちがあり、何か手を動かしたくて我が子向けに考えた算数ゲームを自主製作して即売会に出品しました。幸運にもキッズ賞を受賞し、それがきっかけでその後もいろいろなゲームを出させてもらっています。ゲーム製作過程での製造会社との交渉や見積比較、条件調整などはプラント・エンジニアとして当たり前にやってきたことでしたので、その経験が役立ちました。高校時代に詩を山のように書いた経験は、ゲームのルール説明文やキャッチコピーの言葉選びにも生きているのかなと思います。
仕事上でも、一時期ひたすら単調な数字をチェックする業務を担当したことがあったのですが、のちにプラントの基本設計を担当したときに、この大きさで5000のはずがないというような数値感覚が持てました。数値を飽きるほど見てきたことが繋がったのです。
その時々で興味のあることに取り組み、時には不本意に流されながらも自分で決断を重ねていくことで点が繋がっていく、その積み重ねはあなたを面白いところに連れて行ってくれるのではないかと思います。楽しんで好きを追いかけていただきたいです。