慶長泰周(材料化学者・博士(工学)|18期生)

高3で学ぶことの面白さに目覚め、材料研究の博士に

取材・文/木崎ミドリ

■慶長泰周さんの軌跡

2016年慶應義塾大学理工学部を卒業
2019年慶應義塾大学大学院 助教(有期・研究奨励)
2020年日本学術振興会 特別研究員
2021年慶應義塾大学大学院後期博士課程修了。博士号取得
2021年米国マサチューセッツ工科大学(MIT)の化学科 博士研究員として渡米
2023年電池スタートアップ企業Pure Lithium Corporationにて研究に従事

■アメリカのスタートアップ企業で研究者として働く今

私は現在、アメリカのPure Lithium Corporationという企業で研究者として働いています。この会社はマサチューセッツ工科大学(以下、MIT)発のスタートアップ企業で、リチウム電池の材料となる、リチウム金属の抽出をメインに研究するスタートアップ企業です。

皆さんの日常生活の中でも、スマートフォンや電気自動車の電池など、リチウム電池はとても身近な存在なのではないでしょうか。今、世界中でこのリチウム電池の利用が増しており、従来のリチウムの調達方法では需要に供給が追いつかない状態になっています。

実はリチウム電池には大きく2種類あります。皆さんが普段手にしている電池はリチウムイオン電池と呼ばれるものなのですが、私が今携わっているのはその電池容量が、リチウムイオン電池の2倍以上となるリチウム金属電池です。今、アメリカでその材料となるリチウム金属が大きく注目されており、需要に対応するため2021年に創業となった会社がPure Lithium Corporationです。

私の具体的な仕事は、自然界にある湖などから直接、リチウム金属を効率的に抽出する方法の研究です。従来の抽出方法というのが、とても伝統的なスタイルで、海水や塩湖水を天日干しすることで水分を飛ばし、遺留物に含まれる少量のリチウムを抽出していくというものです。大きな湖の水を蒸発させ飛ばしていくというのは、数年単位でかかる作業なんです。それを数日で同じ量のリチウムを、湖からダイレクトに抽出し、大量開発することで供給量を増やしていくことを目指しています。

MITのシンボル、通称Great Domeの前で
MIT時代の上司(Prof. Swager)のオフィスにて

■医学部を目指して猛勉強、初めて勉強を面白いと感じた

SFCには一般入試で中等部から入りました。入学してからは、水泳部の部活動を中心に力を入れていて、勉強はほどほどにという生活だったのですが、高3に上がるタイミングで突如、医学部に行きたいと強く思うようになりました。

きっかけは、その3月に起きた東日本大震災です。高校生ながら、自分が世の中のためにできることはなんだろうと、震災をきっかけに真剣に考えるようになりました。初めて、自分の心の底から思い立ち、突き動かされました。当時読んでいた『医龍—Team Medical Dragon』という漫画の影響もあり、私なりに出した答えが「医師になって人を助ける」というものでした。

医学部へ行くという目標を立て、真剣に勉強をはじめたら、それまで感じることのなかった、勉強の楽しさを感じることができました。ひとつの科目や分野を紐解いていくと、そこには実生活につながる何かがあると気づいたんです。例えば、化学や物理を突き詰めていったら、人の生活に役立つ電気やガスにつながっていくことなどがリアルに見えてきて。

医師を目指して頑張ってきたけれど、医学の方向以外にも人の役に立つ方法はあると気づいたことはとても大きかったです。結果的には医学部の内部進学枠を得ることは難しかったのですが、理系が得意だったので理工学部に進むことを決めました。

■兄の背中を追って過ごした中高時代。大学から、少しずつそれぞれの道へ

実はSFC中高には2つ年上の兄も通っていました。同じ小学校、中学校、高校に通い、スイミングスクールから水泳部所属に至るまで、ずっと兄の背中を追いかけていました。振り返ってみれば、兄がいたからこそ成長できた部分もありますが、親や友人など外部からの目だけでなく、自分の中でもどうしても比較してしまう。正直、一時期はコンプレックスになるくらいの存在でした。

中高時代の水泳部では、ものすごく悔しい思いをしました。自分が目標としていた、高3での個人でのインターハイ出場を逃してしまったんです。高1のときにリレーでは出場できたのですが、兄を含めた4人のリレー選手中で、自分は一番タイムが遅くて。感覚的には他の3人に連れていってもらったな、と感じていました。

それがどうしても悔しくて、大学でも体育会水泳部に所属しました。理工学部は他と比べても学業が大変な学部であるというのは聞いていたのですが。しかし、大学では自分でも驚くくらいタイムが伸び、インターカレッジに出場することもできました。大学ではチームの主将を任せてもらうことにもなり、これらがとても大きな自信になりました。学業にしてもスポーツにしても、一生懸命取り組めば結果はついてくるし、いろいろな人が信頼してくれるようになるのだという実感につながりました。

インターカレッジでの飛び込みシーン

兄も大学で体育会水泳部に入りましたが、経済学部へ進み、大学卒業後は商社に勤め、今は起業をして会社経営をしています。SFC中高卒業後は、少しずつ違う方向へ進みました。進む道が異なったことで、引っ張ってくれる兄がいたからこそ今があると思えるようになりましたし、今では素直に尊敬している存在です。私の結婚式で聞きましたが、実は兄も私に対して「ずるい」という感情を抱いていたそうです。

■壁にぶつかっても、乗り越える方法はきっと見つかる

医学部進学とインターハイ、SFC中高時代に経験した2つの挫折を、大学時代で解消できたことは、今の自分の大きな自信になっています。それらを通じて学んだことは、一つのことを極めることは、新たな発見につながるということ。そしてそれは、何か別のことで壁にぶつかった時にも、乗り越える方法はきっとあるのだと、自分を信じることができるようになったことにつながっていきました。

研究を進める中でも、例えば新しい材料を作りたいときに、「どうやったら作れるか」と考える思考の角度は、水泳部で「どうやったらタイムを伸ばせるか」と試行錯誤したときの思考の角度と似ています。これは英語学習においても同じです。今、私はアメリカに住んで英語で仕事をしていますが、中学2年生の時にはvegetableを「べゲットエイボー」と間違えて発音するくらい、英語が苦手でした。それでも、成せば成るのです。

理工学部で博士号取得後、MITにアプライする際にも、全くツテがない中、MITで研究をされている日本人の方を見つけ、問い合わせメールを送り活路を見出しました。壁が高くて先が見えなくても、なんとか道を切り開いていけるようになったのは、中高時代からの挫折を乗り越えてきた経験が活きていると思っています。

リチウム金属電池の研究も、今はまだ開発途中ですが、これから10年20年先、世界中で電気の供給量が足りなくなったとき。私の研究が電気を必要とする人たちの役に立っていったらいいなと思い、日々努力を重ねています。研究が進めば、リチウム金属電池で飛行機を飛ばすほどの電力を担うことができるようになるかもしれません。そして将来的には、さらに幅広い材料開発によってイノベーションに寄与すること、海外への挑戦を後押しできるようになることが夢です。これからも限界を決めず、突き進んでいきたいと思っています。

■在校生へのメッセージ

中高生の今、5年後10年後の世の中や、自分自身を想像することはとても難しいと思います。私自身も、まさか自分が10年後、アメリカで研究をしているとは想像もできませんでした。なので、中高生の今は、目の前にある自分の興味の対象にめいっぱい打ち込んでほしいと思います。一生懸命取り組んだ先に出会う挫折や悔しさも、しっかりと感じて乗り切ってほしい。失敗を恐れず、挑戦を続けていれば、悔しさも糧になります。私は本当にいろいろな挫折と失敗を経験して今があります。ぜひ、失敗を乞うようにチャレンジをしてほしい。その先には、中高の時には想像もできなかった道が広がっているはずです。

博士号授与式にて
大学卒業式で、文武両道で表彰された記念品