島田 祐一朗(会社経営|1期生)
プロフィール
| 1999年 | 慶應義塾大学文学部卒業後 |
| 1999年 | SPI(現デロイト トーマツ エスピーアイ株式会社)入社 |
| 2003年 | マイクロソフト株式会社入社 |
| 2009年 | ディスカバリーズ株式会社を設立 |
文学部からデジタルマーケティングの世界へ
1999年に慶應義塾大学文学部を卒業しました。専攻は人間科学で、認知学、社会学、心理学などデータや統計を用いて人間を科学的にアプローチする学問。この学びは、統計や消費者心理学などマーケティングと深く関連しており、卒業後の進路は、広告コンサルティング会社を選びました。外資系のスタートアップ企業で、視聴率などのビッグデータを解析してBtoCの広告戦略を立案したり、統計データに基づいてモデリングし効果を最大化するメディアミックスを設計したりしていました。
充実した4年間を過ごし、新たな挑戦を求めて顧客と直接向き合うBtoBの世界に飛び込みました。「営業を科学する」というキャッチコピーに惹かれ、マイクロソフトへ。同社の大企業に特化したセールスプロモーション部門に転職したのです。当時のマイクロソフトはWindowsやOfficeなどの製品で圧倒的なシェアを持ち、営業がいなくても売れてしまう状態でした。営業担当者は約300人に対し、2万社以上の大企業顧客をカバーすることは物理的に難しく、顧客満足度は高くはありませんでした。
私が取り組んだのは、大手法人向け 会員制BtoBサイトの構築です。当時はまだ「デジタルマーケティング」や「リード&ナーチャリング」という言葉が一般的ではありませんでした。しかしそうした手法をいち早く取り入れてデータ分析を行い、顧客が営業に直接問い合わせでき、迅速に対応できる会員制サイトを構築しました。サイト内での顧客の行動を分析し、そのデータを営業にフィードバックする仕組みも作り上げて顧客満足度は大きく改善し、日本とアメリカ本社からアワードを受賞しました。一方で、本プログラムの中小企業向け展開が進み、BtoC向けにも拡大する計画などが持ち上がるころ、私は次のチャレンジを考えるようになりました。
起業という新たな挑戦
BtoC、BtoBを経験した私は、次はエンプロイ向け、つまり企業の従業員向けのビジネスに挑戦したいと考えたんです。マイクロソフトの同僚と共にディスカバリーズを創業しました。

イノベーションは全く新しいものから生まれるのではなく、既存の知識や経験が組み合わさることで生まれます。そのためには、異なる価値観や世代、専門性を持つ人々が出会い、コミュニケーションを取ることが重要で、多様性がイノベーションの源泉となります。企業内には膨大なナレッジが存在しますが、十分に共有されず活用されていない問題があります。ある社員が苦労して言語化した知見が他の社員に伝わらず活用されず、継承もされない。別の社員が同じことを一から作り直すという二重の意味での無駄が頻繁に発生しています。結果的にイノベーションは生まれにくいだけでなく、生産性とエンゲージメントを下げてしまっています。
そこで、社員向けに情報を拡散流通するためにマーケティング手法を使って、ナレッジを新たな価値として共有する仕組みと、生産性を上げるためのコンサルティングを提供してきました。知識・経験をシェアし、活用し、評価されるループが生まれることで企業のカルチャーも変わっていきます。近年は、AI技術を活用した新たなサービスも展開しています。社内データを安全に学習させ、従業員が必要な情報を簡単に引き出せるヒューマノイド型AIエージェントの提供です。面白いことに、最近大学時代に学んだ認知科学の教科書を開いてみたところ、AIの仕組みと同じことが書かれていました。25年前の学びが現在の事業に結びついていたのです。
広告業界からマイクロソフトへの転職をはじめ、周囲からは異色と思われる歩みをしてきました。私にとっては、王道よりも新しい組み合わせが起こす化学反応の面白さが魅力的だからです。それはさかのぼるとSFC一期生を選んだことに立ち返るのかなと思います。
学校づくりに参加した一期生の特権
私は、幼稚舎から普通部へと進み、日吉の塾高ではなく新設されたばかりのSFCへの進学を選びました。伝統ある慶應の中で、新しい学校という選択肢は新鮮で魅力的に映りました。新たな歴史を作っていく学校への好奇心と、人と違うことをしたいという欲求が、未知の世界へと導いたのです。実際、一期生として学校の行事や部活動などあらゆるものをゼロからつくっていく過程を目の当たりにし、一緒に関われたことは、その後の、「やりたいことがあれば創る」ことへの抵抗のなさ、むしろそれを当然と考える大人になれた原点だと思っています。

入学したSFCはまさに創成期。生徒は高校1年生と中学1年生のみで、教室の多くは空いていました。教員の数が相対的に多く、20代の先生など生徒との年齢差が少なく距離感が近かった。私は頻繁に教員室を訪れ、空いている席で勉強したり、雑談したりしていました。先生たちが自然に受け入れてくれる雰囲気があり、この近さが自由な発想と行動を後押ししていました。教員室に遊びに行くとフレンドリーに色々教えていただいて、私のような帰国子女ではない人間でも、外資系に就職できたのは、英語への心理的ハードルが低かったおかげだと思っています。
部活動も学校行事も初の取り組みで、私は硬式野球部を創設しました。一学年しかいない状況ですから、野球に興味がありそうな生徒に声をかけ名前を書いてもらってメンバーを集めるところからのスタートでした。学校行事では球技大会の実行委員長を務めました。バスケットボール、バレーボール、サッカー、ソフトボールなど、複数の競技を全校生徒が参加できるよう時間割を組み対戦カードを作成する。このイベントの運営を3年間連続で担当し、組織運営やマネジメントの礎となる経験をさせてもらったと思っています。
帰国子女が多いSFCで価値観もスタイルも多様な生徒たちとの出会いは、大いに刺激になりました。帽子をかぶって授業を受ける生徒、私が創設した野球部ではメジャーリーガーのようにネックレスをつけて野球をする生徒もいて、「ここは日本なのか」と思うほどの多様性が、当たり前のように存在していました。今も、会社の法務面で同級生がサポートしてくれていたり、テクノロジー業界に詳しい同級生と定期的に情報交換を行ったり、医師や他業界で活躍する仲間との同期会では、新たな刺激を受けています。
大学のネットワークに接続できる環境で、早期に新しい機材を使わせていただく機会もあったので、最先端、グローバルを身近に感じられたことも、能動的に動く自由さを後押ししたのかもしれません。勉強でもボランティアでも、生徒が興味を持ったことに対して、稲田部長(校長:当時)をはじめ先生たちは耳を傾け、一緒に考えてくれました。何かをやりたいと思ったときに「ノー」と言われない、新しいことを提案しても否定されない環境で、挑戦の魅力や探求の楽しさを知ったんです。その経験は、今取り組んでいる社内ナレッジの共有や、エンゲージメントを高めていく事業にもつながっており、SFCの体験がなかったら、今はないんじゃないかと思います。