

夏目卓弥(デジタルメディア社長|5期生)
文/中城邦子 写真/林 直幸
プロフィール
2003年 | 慶應義塾大学経済学部卒業 |
2003年 | 三井物産株式会社入社 |
2010年 | 研修員としてアメリカへ |
2015年 | ロサンゼルスの会社への出資に伴い出向 |
2016年 | シリコンバレー支店に異動 |
2019年 | アメリカのTastemadeに投資した後に帰国 |
2020年 | Tastemade Japanに出向し、社長就任 |
■好奇心を刺激するライフスタイルメディアを配信
私が今、代表を務めているTastemade Japanは、食と旅に関する動画コンテンツを自社スタジオで制作して、日々SNSで配信しているライフスタイルメディアです。国内7つのSNSアカウントの総フォロワー数は1,000万人を超え、特にTikTokは約240万人で、Z世代を中心に日本のTikTok総ユーザーの約2割が利用してくれています。

一般的にレシピ動画というと実用的な毎日の献立レシピが多いのですが、私たちはアートやエンターテインメント性を入れた、見ているだけで楽しくなり好奇心がかきたてられる料理動画を制作するSizzle Creative Mediaを志向しています。驚きと意外性があるレシピや調理中の音に焦点を当てて紹介する動画や、スナック菓子をアレンジするだけでできるスイーツもあります。わが家でも、子どもが見て「このケーキを作りたい!」と言ってくれます。
Tastemadeの動画
Instagram
20代、30代の女性からの支持率が高く、アクセスしてくれる視聴者の7割以上がミレニアル世代、Z世代です。このためテレビなどがリーチしにくいZ世代に向けたプロモーション依頼を企業や自治体から受けることも多いですね。日本での設立は2016年ですが、米国本社は2012年にロサンゼルスで設立され、ヨーロッパや南米、中国、インドなどでもサービスを展開中です。このグローバルな配信基盤をいかして、日本の魅力をインバウンド観光客に伝えるためのプロモーションや、県産品を海外に輸出していくときのプロモーションのお手伝いをして、日本の食文化や地域の魅力を海外に発信しています。
■SFC中高で芽生えた世界への意識とワクワクを届けたい思い
私は三井物産からの出向で、今この会社の代表を務めています。入社以来、所属部署は様々に変わりましたが、一貫しているのは自分のWILLで動いてきたことと、日本の魅力・わくわくドキドキを、ビジネスで世界に広めていきたいという思いです。
改めて振り返ってみると、その気持ちはSFC中高時代に芽生えたのだと思います。SFC中高で受けた大きな刺激の1つが国際性です。
私は入学時は4期生で、つまりSFC中等部として初めての新入生です。1年生と4年生(高校1年生)しかいない新設校でした。新しい学校の完成予想図を見て、小学生ながら国際色に惹かれて受験しました。
入学してみると、実際、帰国生は多かったですね。今でも覚えているのは同じクラスの帰国生の子が、筆記体で英語の手紙を小学校の時の友だちにスラスラと書いていたのです。同じ年齢でこんなことができる子がいるんだと衝撃を受けました。
もう1つは、人を楽しませたいという気持ちを、ごく自然に表現できる環境だったことです。SFC中高生は、多様な生徒がいてそれぞれの個性を尊重する空気が当時からありました。私は、みんなを楽しませることが好きで、部活動のほかに友達とお笑いユニットを組んで学内のイベントのたびに演目をやったり、バンド活動をしたり、文化祭のクラス展示にも力を入れていました。(先日久しぶりに文化祭に足を運んだ際には特に装飾がパワーアップしてて微笑ましかったです)
高校3年のときには、同級生に誘われて1年間アメリカのモンタナ州に留学。アメリカでの生活は刺激的でしたが、日本について聞かれることも多く、かえって日本に興味が湧きました。大学時代は青春18切符で日本を周遊したり、司馬遼太郎にはまって全巻読んだりしました。次第に、日本の独自の魅力をビジネスとして、海外に発信していきたいという思いを抱くようになり、商社に入りました。
■さまざまな形でメディア・コンテンツビジネスを経験
新卒で入社したのが現在も在籍する三井物産です。日本の文化を発信したいという気持ちでメディア事業部を志望し、希望どおり映像コンテンツビジネスを担当させてもらいました。
具体的にはアニメや映画、テレビ番組などを作るときの製作委員会に参画したのです。放送局や音楽会社、出版社など5~10社ぐらいが出資して、収益と放映権や書籍化などの権利を分け合います。私の仕事で言えば、海外販売窓口権を持つことになるのですが、当時商社がそういったビジネスに乗り出しているケースはありません。業界の人から見ると、商社がなぜこの世界に入ってくるの? という感じでしょう。とにかく仲良くなり、存在を認めてもらうことからスタートし、コンテンツを自分で探して開拓していきました。
好奇心を持って気になったら深掘りして調べる、人に会って話して生の情報を得て形にしていくことが苦にならなかったのは、コミュニケーションスキルも含めてSFC中高で育まれたものじゃないかなと思います。
開拓したコンテンツは、毎年2回フランスのカンヌで行われる見本市にブースを構えたり、欧米やアジア各国を飛び回って現地の放送局や玩具会社と商談して売っていきます。当時私が販売したのはパートナーと新規に制作した特撮ヒーローの番組と権利を全世界に売りに行くことでした。韓国ではその特撮ヒーロー番組が大ヒット。あるとき韓国大使館近くを歩いていたら、私がライセンスしたヒーローの写真とハングル文字が書かれたリュックを背負った男の子が前を歩いていて、うれしかったですね。

その後、残念ながらIP(知的財産)系のビジネスは、商社としては撤退することになりました。しかし、その経験は私の中では生きています。研修員として自分でインターン先を開拓してアメリカの20世紀フォックスで働いたり、出資したアメリカのメディア会社に出向したりと、会社のなかでもかなり変わったキャリアを歩んできたため、「この分野が分かるのは夏目では?」と思ってもらえることも多かったです。社内でメディア系のビジネスの話があると相談を受けることも多く、シリコンバレー駐在時に相談されたのがTastemadeでした。

2019年米国Tastemade Incに三井物産が出資した際にはシリコンバレー支店でディールを担当、その後、Tastemade Japanを関係会社化したことから、社長として出向して3年になります。
■共に働く仲間を尊重し協働する姿勢を学んだ
WILLで切り拓き、自分が好きなことをひたすらやってこられた原体験は、やはり高校3年のときのアメリカ留学です。当時は、野茂英雄さんがMLBで活躍し日本のアニメや音楽も出始めていたころ。私が行ったのはモンタナ州の田舎町ですが、街を歩いているとジャパニーズプレイヤーすごいなと声をかけてくれる。友達とアニメや音楽の話が出来る。私はハリウッド映画やアメリカの音楽や文化に影響を受けて育った世代ですが、世界で活躍する日本人やソフトパワーが出ていく瞬間を米国で目の当たりにして、日本の魅力や日本の文化で会話ができるワクワク感をもっと世界に広めていきたいと思ったことが、今に繋がっています。
ホームステイ先のホストファミリーからも学びがありました。日本というと封建的な男社会というイメージを強く持っていたホストマザーが、共働き家庭では家事も分担するものだということを学ばせようと、皿洗いでも何でも同じようにさせてくれたんです。それが当たり前のこととして意識の上でも行動の上でも身に着いたことはよかったなと思います。
今、働くうえでも、国籍問わず男性だから女性だからではなく一緒に仕事をする人として、それぞれの考え方や個性を尊重し協働して、よりよいものを目指す。それは留学と、何よりSFC中高で過ごした時間のたまものだなと思います。
