浅田慎二(ベンチャーキャピタル会社経営|1996年卒)

高校バスケ部の後輩と、ベンチャーキャピタルを創業

取材・文/木崎ミドリ
写真/林 直幸

プロフィール

2000年慶應義塾大学経済学部卒業
2000年伊藤忠商事入社
2012年マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院MBA取得
2015年セールスフォースドットコム入社
2020年One Capital設立、代表取締役CEOに就任

私は、2020年4月にSFC高等部時代のバスケ部の後輩(坂倉亘さん)と、One Capitalというスタートアップに投資するベンチャーキャピタル(VC)の会社を創業しました。

アメリカでは、GoogleやAmazon、Facebookなどのスタートアップも創業当初、VCから出資を受け、大きく成長しました。我々は、日本のスタートアップを応援し、出資後共に成長していくVC。他のVCと少し違う点は、僕たち自身も、プロダクトを作っている起業家であるということです。

SFC高卒業後は経済学部へ進学し、その後新卒で日本の大手総合商社である伊藤忠商事(以下、伊藤忠)に入社しました。

猛烈に働き、社費の権利を獲得しマサチューセッツ工科大学へMBA留学をさせてもらいました。そして帰国後、伊藤忠のVC子会社へ出向し、スタートアップへ投資する業務に出会ったのです。

商社では同じ業務に3年以上従事することは難しく、VC業務を続けたかったため、B2B(企業間取引)領域のSaaS(インターネット上のサービスとして提供されるソフトウェア)に特化したCorporate VCを持つセールスフォースへ2015年に転職しました。

外資系特有の緊張感もありましたが、合理的なカルチャーの中で、伸び伸びと働くことができましたね。有難いことに退職した2020年までの間に、常務執行役員というポジションまで昇格することができました。

170億円の1号ファンドを設立

セールスフォース・ベンチャーズでの仕事は、非常にやり甲斐がありました。しかし、投資先の起業家と比べると、自分自身は大企業勤務というリスクの無い立場。その立場から投資することの違和感が積もり、2019年から独立について考え始めました。

そこで当時、戦略コンサルティングファームのBCGで輝かしい実績を残していた3期生の坂倉さんに声をかけ、新しい形のVCを創ろうと誘ったのです。2020年、コロナの真っ只中に資金調達活動を開始し、国内独立系VCとして過去最大規模の170億円の1号ファンドの設立に成功しました。日経新聞に記事を掲載頂けて、親からも喜ばれたのは良い思い出です。

日本のVCは、資金調達元が日本の大企業やIT企業であるYahoo!、DNA、コロプラなどが中心ですが、そこはもう飽和状態なんです。大企業20社ほどから資金を集めているVCもあったりしますが、20社集めるのはしんどいな、と。そこで、大企業2社に絞り、資金調達元にも手厚いサービスを提供したら資金調達できるんじゃないと考えました。

結果、2社から大きな資金を集めることができて、加えて私の投資実績も評価いただき合計40社強から、170億円の資金を集めることができました。

坂倉さんからは学べることが多いです。僕は投資のプロフェッショナル、彼はコンサルティングのプロフェッショナル。お互いの専門領域へのリスペクトが常にあります。得意領域が重なっている場合、揉める要因になると良く聞きますが、僕らにはそれが無い。あと、僕が1つ上というのも大きい気がします。最終決定時は、彼が一歩引いてくれる。とても良い関係が築けています。

“グレー”を学び、日本にソフトランディングできた

僕は父親の仕事の関係で0歳から7歳までマレーシア、7歳から15歳までを米国ニュージャージー州で育ちました。高校1年生で初めて日本の学校に入学、それがSFCでした。2期生は、120人中30人が帰国子女だったので、国内の学校の中では特殊な環境だったとは思いますが、15歳まで海外で育った自分からすると、充分に「日本」だなという感覚がありました。

帰国子女の中でも「みんなは空気読めているけれど、俺だけ読めていないな」、そんな感覚がありました。日本語は喋れたけれど、価値観は完全にアメリカ人。高校1年生の時にすごくアウトサイダーだった記憶があります。

正直、学校では3分の1くらいしか本音を出していなかった気がします。アメリカだと白か黒か、YESかNOかで会話が進むところを、日本には“グレー”が存在する。そのグレーを学んだ場所が、僕にとってはSFCでした。

ここで学んだグレーは、伊藤忠に入社した時や現在VCとして日本のスタートアップに寄り添うときに役に立っていると感じます。そもそも、新卒で外資系ではなく日本の商社に入りたいと思ったのも、高校時代に日本に馴染みきれなかったコンプレックスを解消し、自分を日本に馴染ませるひとつの作業だったのかもしれません。そして15年間、その日本を代表する商社で思い切り仕事をさせてもらい、その中でもグレーを学びました。

高校時代に影響を受けた人でいうと、一番はバスケ部の主将だった1学年上の遠藤雅也さんです。遠藤さんは、どんなに疲れていても、死ぬほど走る人。伊藤忠では365日中340日くらい会社にいるような猛烈に忙しい仕事を味わいましたが、それを乗り切れたのもバスケ部でのハードな練習の経験、走ることをやめない遠藤さんから受けた影響があった気がしています。

違和感を消さないで、インターネットを通して広い世界へ

帰国子女という戸惑いはあったものの、僕は2期生なので新設校というとても自由な雰囲気の中で高校生活を送ることができました。今の高校3年生がもう30期ってすごいですよね。30期にもなるとSFCでも、もしかしたら前例主義とか既存の既得権益みたいなものが芽生えているのかもしれませんね。

だとしたら、今の高校生たちに伝えたいこととしては、チャレンジをしてほしいということ。反抗しろと言っているわけではないですが、好きなように生きてほしい、自分の人生なのだから。自分も3分の2は本音が言えなかったわけだけれど、言わないとしても、消す必要もない。

もし、自分がマイノリティだと感じて閉塞感を持つようなら、今はインターネットの無限空間があり、あらゆる人と繋がることができる時代なわけだから、それをふんだんに活かせるはずです。環境を探して、自分を解放して表現することはできるのではないでしょうか。

コミュニティが小さいと刺激が少なくなります。ネットを通じて、もしかしたら自分の興味関心に合うコミュニティが見つかるかもしれない。そしてそれを通してまたリアルな空間に行けばいい。そういう行動を起こせる個性が大事だと、僕は思います。

僕は、SFCで日本での人との距離感や関わり方を学びました。当時はおもちゃみたいだったインターネットに触れる機会をくれて、可能性を感じさせてくれたのも実はSFCでした。結果的に、インターネットの新規事業を起こす起業家に投資をする仕事に就くことができました。

本音が出せなかった、アウトサイダーだったなんて言いながらも、あの頃の出会いが、ずいぶんと今の仕事につながっている気がします。

在校生へのメッセージ:

高校生って、そもそも戸惑いの真っただ中だと思います。自分はゴリゴリの帰国子女だったので、そこの戸惑いが大きかったですが、起業家の中にはアウトサイダーと感じた原体験を持っている人が結構多いんです。マイノリティが起業家として大成したりする。だからもし今、高校生活に違和感があるとしたら、それは後に事を起こすチャンスなのだと、考えればいいと僕は思います。