秋山理保子さん(テレビ局勤務|7期)
取材・文/中城邦子 写真/林 直幸
■プロフィール
2005年 | 慶應義塾大学総合政策学部卒業 |
2005年 | 日本放送協会入局 |
2006年 | 東京大学公共政策大学院入学 |
2008年 | テレビ東京入社 |
2019年 | ワシントン支局長 |
2022年 | 「ワールドビジネスサテライト」担当デスク |
■何をどう伝えるか、毎日のニュースと向き合う
テレビ東京の『ワールドビジネスサテライト(WBS)』は、平日の夜(月曜~木曜夜10時~、金曜夜11時~)独自の切り口で日本と世界の経済ニュースを伝える番組です。
私は現在、報道局において「WBS」のデスクを担当しています。日々の番組構成を練って、どのニュースを取り上げ、どう伝えるのかを考えるのがデスクの役割です。あらかじめ発生することが分かっているニュースもありますが、多くの場合、いつ何が起きるか分かりません。さまざまな準備をしておきつつも、いざというときは「瞬発力」だけが頼りになります。
例えば、今年3月11日の放送。
東日本大震災から13年目を迎えた日の放送で、NHK・民放各社が震災のニュースを伝える中、私たちはどうすれば独自色を出せるか考えました。そこで実現したのが、福島第一原発の廃炉作業の様子を、実際に原発内部に入って取材し、独自に伝えるという企画です。あの原発事故から13年が経ち、いまどうなっているのか。今後の原発をめぐる政策を考える上でも、放送することが重要だと考えました。
さらに放送当日、連日最高値を更新していた日経平均株価が、一時1100円を超えて大きく下げる場面がありました。この下落をどう捉えるべきか、番組のディレクターたちと相談し、専門家であるアナリストのインタビューをすぐ撮影して、ニュースとして伝えました。
この日は、もう1つ大きなニュースがありました。アメリカの「アカデミー賞」の発表です。日本の作品が、「視覚効果賞」と「長編アニメーション賞」でダブル受賞するという嬉しいニュース。幸いにも「WBS」では、以前から山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』を追いかけ、制作の舞台裏を取材していたので、まだ放送してない素材を中心にVTRを作ることができました。また、『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン監督も他社に先駆けて取材をしていたため、見ごたえのあるニュースとして放送できたと思います。
このように、マーケットや企業の動きをはじめ、経済や政治、文化のニュースなど、さまざまな情報の中から、いま何を取り上げ、どう伝えるべきかを考える日々です。
そのような中で特に大切にしているのが、いろいろなことに関心を持ち、繋がりを持っておくということです。ニュースとして取り上げるネタのきっかけは、ほうぼうで活躍しているSFC中高の友人との雑談がきっかけになることも多くあります。
例えば以前、合成ダイヤモンドについて、日本のテレビ局で初めて特集企画を作ったことがありました。合成ダイヤモンドとは、人工的につくられたダイヤモンドですが、天然ダイヤと成分が全く同じで、流通が本格的に始まった当初、「合成」か「天然」か“見分けがつかない”と、業界内で大きな問題となっていました。実は、SFC中高の友人が、ダイヤモンド鑑定の専門家で、「今この分野が話題になっているよ!」と教えてくれたことがきっかけです。日本のダイヤモンド業界を巻き込んでいろいろ取材をさせてもらいました。
■いつかアメリカ大統領の単独インタビューを取りたい
私はもともと外交や安全保障分野に関心があり、慶應義塾大学総合政策学部3年のときに、大学の交換留学制度で、外交政策の分野で知られるアメリカ・ワシントンのジョージタウン大学に1年間留学しました。
大学卒業後はNHKに入局。配属された大阪放送局での番組作りは面白く、とても勉強になったのですが、専門性をもう少し高めたいという思いがあり、NHKを辞めて、東京大学公共政策大学院に行くことにしました。
大学院修了後は、再び外交や安全保障を専門とするジャーナリストを実現できる現場としてテレビ東京の中途採用を受け、入社しました。
入社後すぐは、夕方のニュース番組を担当し、その後6年ほど、外務省や防衛省、財務省や内閣府など、主に霞が関の省庁担当の記者として日本の政策、政府の動きを取材しました。
霞が関の取材を通じて、国の政策をしっかり見られたこと、特に東日本大震災があった2011年は防衛省の担当記者として、国としての大きな危機に、防衛や安全保障の現場がどのように動くのかを間近で見られたことは、非常に大きな経験となりました。
その後、2019年から3年間ほど、アメリカ・ワシントン支局に赴任しました。赴任当初はトランプ政権で、トランプ前大統領が毎朝発信する旧ツイッター(現X)の投稿が、目覚まし代わりとなる日々でした。
ワシントンは、安全保障と外交政策という意味では、最前線の現場です。2020年の大統領選挙をはじめ、連邦議会襲撃事件など、まさに「歴史的」という現場を数多く取材しました。日本との時差もある上に、取材の対象範囲が広くて大変な日々でしたが、取材者としてはとてもやりがいのある、充実した時間でした。
そして、このワシントンでの経験は今も生きています。アメリカの政府関係者の来日情報をつかんだら、すぐさま企画書を送ってインタビューを申し込んでいます。その結果、現在のバイデン政権の閣僚では、ジーナ・レモンド商務長官に日本のメディアとして初めて単独インタビューをしたほか、キャサリン・タイ通商代表などにも単独でインタビューをさせてもらいました。
いま、ジャーナリストとして私が目標にしているのは、アメリカ大統領への単独インタビューです。大統領へのインタビューは、日本のメディアはなかなか実現できないのですが、10年、20年かかったとしてもかなえたいと思っています。
■SFC新聞部で鍛えられた「足で書け」
私にとってジャーナリストとしての出発点となったのは、SFC中高の「新聞部」です。
なぜ中学一年生で新聞部に入ったのかは全く覚えていないのですが、文化祭や体育祭などの学校行事の委員長をはじめ、校内にはいろいろなことをしている人たちがいて、その活動や思いを伝えることがとても面白かったのです。取材をすることで、同級生だけでなく学年を超えていろいろな人と接点ができ、それが起点となって、また新たな情報が入ってくるなど、新聞部に入っていなかったら知らなかったであろう人たちとの繋がりが多くできました。
そのSFC新聞部のモットーが「足で書け」です。当時、新聞部の部員が卒業するときには、黒の油性ペンで太く大きく「足で書け」と書いた白い靴下を、後輩がプレゼントするのが習慣で、私も卒業時にそれを貰いました。今でも大切に保管しています。
「足で書け」は、頭で書くのではなく、実際に現場に行って、人に会って、記事を書けということ。取材者としての鉄則であり、大原則のことです。
思い出深いのは、SFC新聞部の『湘風』(新聞)の企画として、1996年におこなった取材です。阪神淡路大震災の翌年で、震災から1年後の被災地の状況を取材しようという内容でした。夏休み期間中に、SFC新聞部の先輩たち一緒に夜行列車を乗り継いで神戸まで行き、震源地に近かった灘高校の新聞部の人たちと対談をしました。当時はまだ震災後の生々しい爪痕が残っていて、被害の様子や地震発生時の体験談を灘高校の生徒たちから聞きました。現場に行って取材をする大切さを痛感した体験でした。
別の年の『湘風』の企画では、市販されているシャンプーの良さをみんなで評価しようという、かなり生活感あふれる身近な企画もやりました。当時人気だったシャンプーをスーパーで買ってきて、新聞部の夏合宿中にみんなで使い比べをして、「香り」や「洗いあがり」、「しっとり感」、「容器の使いやすさ」など、細かく評価して、記事にした記憶があります。まさに自分が体験者となる、「足で書け」の実践です。
■論ずる試験問題で問われていたこと
部活動だけでなく、SFC中高の授業もさまざまな形で今の私に繋がっていると思います。その中でも、特に世界史の授業が好きでした。アジア史の授業では、映画『少林寺』を通じて「中国」の歴史を考察したり、ヨーロッパ史の授業では、オペラ好きの先生がオペラや自身の旅行の体験談を通じて、歴史の見かたを面白く話してくれたりしたのを覚えています。
何よりも、期末試験がユニークでした。年号を暗記するような問題はなく、すべて論述問題で、ヨーロッパ史のある試験問題では、「第一次大戦、第二次大戦の勃発を防ぐために、あなたなら何をしていましたか?」という、とてつもなくスケールが“大きい”問題が出たことなどを覚えています。
その事象がなぜ起きたのかを突き詰めて考え、その本質はどこにあるのか、「今」にどう生かしていくのか考えることを、今振り返ると、自然に教えてもらっていたのだと思います。
私は、小学校時代をアメリカで過ごしました。小学校6年間をサンフランシスコとシカゴで過ごし、日本とアメリカという2つの国に住んだことから、国と国との関係や、それぞれの国がたどってきた歴史、外交や安全保障の分野に、自然と興味が芽生えたのだと思います。
そしてSFC中高に入ったからこそ、アメリカで過ごした幼少期の経験をいかしながら、それをさらに伸ばしてもらえたのだと思います。当時、学年の4分の1が帰国生で、自由な環境でのびのびと学べたことも大きかったです。いま、私の原点をあげるとすれば、アメリカで過ごした小学校時代とSFC中高での時間、この両方だと思います。
そして、もう一つ。忘れられない試験問題といえば、数学の馬場さんの問題も外せません。期末試験の一問目、福澤先生がのこした「慶應義塾の目的」の一文をまるごと書く問題です。
『慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり』
何事においても「本旨」つまり、「本質」を明らかにすること。これは仕事をする上でも、日々の生活でも、はたまた国や歴史を論ずる上でも、全てにおいて通じています。
私自身、日々バタバタとしながら働いていますが、取材中も、そうでないときも、常に「本質は何だろう」と自分に問いかけながら過ごすことを肝に銘じています。
■在校生へのメッセージ